R89 8km 「スティーブ・ジョブズ」

昨夜の話になってしまいますが、抗生剤も飲みきり調子が戻ったようで8キロ走りました。次からは10キロに戻せそう。抗生剤はピロリ菌退治の時も使いましたが効果が覿面です。病気の治療はいろんなアプローチがあるけど、最初から鍵は用意されていてそれを人が発見出来るようになっているような不思議さを感じます。これが宇宙の誕生からある法則に従って出来た世界だと考えると不思議でなりません。その法則を見つけようと研究している科学者や、実際に治療の現場にいる医師達の仕事ってやりがいがありますね。とても尊敬します。

10月5日はAppleの創始者、スティーブ・ジョブズが亡くなって一年目の命日でした。彼の伝記やジョブズの妹モナ・シンプソンの追悼メッセージを読むと、ジョブズは歩くのが好きで、打ち合わせの時なども延々と長い距離を歩きながら話をすることが多かったそうです。きっとそうすることで新鮮な何かがあったんでしょうね。軽い有酸素運動で頭の働きも良くなっていたに違いない。

昨夜ジョブズの命日の夜に走りながら、彼が最後に発したという言葉を思い出していました。妹モナ・シンプソンの追悼メッセージ、もし読んだことがなれれば是非読んでみてください。こちらがNY Timesに掲載された原文。こちらはその和訳です。実は去年これを読んだとき、ジョブスの闘病や人柄に触れて感動したのですが、疑い深い僕はつい「最後の言葉に関しては、作家であるモナ・シンプソンの脚色が入っていないか?」とまったく自分でも嫌になるアイディアが浮かんだのです。でも走りながらやっぱりあれは本当だったに違いないと思いました。

僕はジョブズが新しい製品を発表するプレゼンテーションを見て何度も感激と驚きを得ました。iPhoneが発表される前に、Blackberry を使っていた僕は「これ以上の携帯電話があるのだろうか?あるとしたらそれはどのようなものだろうか?」とデザインをイメージしたりしたものです。

実際発表されたそれは自分の想像をはるかに超えるモノでした。何度も驚きました。でも考えてみればそれらに一番最初に出会い感激したのはジョブズ自身だったはずです。彼は沢山の驚きを見つけました。だから最後になにかとてつもない感動に出会っていたとしても、なんの不思議もありません。それは家族のことだったのか、あるいは別の何かだったのか。。

世界は驚きと感動にあふれている。生きている間に一つでも多くそれらと出会えたらいいですね。ありがとうスティーブ・ジョブズ。写真は一年前スティーブが亡くなった日にシリコンバレーに現れた虹。これもちっと不思議な事実です。

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 Rainbow over Silicon Valley moments after Steve Jobs’ death (c) Mac Post

もっと走ろう!

R99 10k「ニューヨークシティ・マラソン2012を走る」

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10月29日の夜ニュージャージーに上陸した大型ハリケーン・サンディは、アメリカ東部に大きな被害をもたらしました。ニューヨーク市を襲った高波は4.2メートルに達し、65万人が停電の影響を受け、クイーンズ区では火災が起き50件が全焼しました。11月4日に開催予定のニューヨークシティ・マラソン、市長はまだ全体の被害状況がわからない30日のアナウンスでは、予定どおり開催するとしていました。

ニューヨークシティ・マラソンは1970年から毎年開催され、約4万人が参加するレースで、世界中からランナーが集まり日本からもツアーが組まれる程人気があります。コースはニューヨーク市の5区全てを通り、最後はセントラルパーク内を半周程走りゴールします。ハリケーンが去った後、沢山の木がなぎ倒されていたに違いありませんが、コース内の整備、横断幕やパーク内のゴール付近にもうけられた報道用の施設、仮設トイレなど急ピッチで復旧、準備が進められていました。

一方ハリケーン・サンディの残した爪痕は深く、マンハッタン南部の電力がほぼ回復したのは3日。スタート地点のスタテンアイランドの被害は大きく現在も電源は失われたままです。そんな中、報道用の強力な発電機を備え、スポーツ飲料をランナーに配り、警備にも多くの人員が必要なマラソンの開催に対して、市民からの反対の声が日に日に大きくなりました。そして開催日の2日前、ついに市と主催者は中止を決定しました。レースを開催するための労力や物資を復旧の為にまわす必要はなかったが、市民の対立が起きていることが明らかになり、それは復旧の速度を鈍らせる危険があると中止の理由を述べています。

約3億4千万ドル(約270億円)の経済効果があるとされるマラソン、911の年にも開催されたし、出来ればやりたいと主催者は願っていたと思いますが、さすがにまだ電気も復旧しておらず、必要な物資も不足している被災地でマラソンをやるのは少し無理があったようです。ギリギリまで頑張ったけどあきらめたということだと思いますが、現状を見れば中止されたのは当然のようです。

さて、気温は8度の快晴。マラソンも中止になったし久しぶりにセントラルパークを走ろうと午前中に出かけました。マラソン開催日のはずだった今日、多くのマラソンランナー達はニューヨークマラソンの参加者がもらえるオレンジ色のシャツを着て、物資の足りない被災地に走って物資を届けるというボランティアに参加するとのことでした。

ところが、公園に入るとパークドライブには道を埋め尽くす程多くのマラソンランナーがレースさながらに走っています。その格好からマラソンに参加する予定だった人達とすぐにわかりました。なんとコースの周りには応援する人や、飲みのもやキャンディーを配る人などで賑わっており、いたる所でベルを鳴らして「You look good today. Keep it up. Keep it up. You can do it」などと応援してくれます。「お父さん頑張って!」と書いたパネルを持って応援する子供や、バグパイプを吹いて応援する人、いろんな国の国旗も目にしました。

走っている人もニュージーランド、メキシコ、スイス、オーストラリアなど海外から来た人も沢山います。また、家族の写真がプリントされたシャツを来て走っている女性や、「Run for 〇〇(人の名前)」と書かれたシャツを着ているランナーなど、なにかそれぞれのストーリーを胸に走っている様子がうかがえました。なにしろマラソンを走るにはそれなりの時間を使ってトレーニングを重ね準備をしていたはずですし、抽選の倍率は高く数年かかってようやく権利を得たというランナーもいるはずです。まして海外からの参加となれば、もう2度とチャンスはないという人もいるかもしれません。走らずにはいられなかったのでしょう。

図々しくもそんな特別なイベントに紛れ込んで走ったのですが、最初は沿道の応援が照れくさくて目を合わせられなかったのに、次第に気分が良くなりそのうち笑顔で返していました。いつもの一周10キロを走ったのにニューヨークマラソンを走ったような気分を味わえました。マラソンなんて無理だろうと思っていましたが、沿道の人達に応援されながら沢山のランナーと一緒に走るんだったら、それはさぞかし楽しそう。

マラソンは中止になりましたが、集まったランナーにとっては忘れられない思い出になったことでしょう。

来年はマラソンを走る?

ハリケーン・サンディで受けた被害からの復旧のための寄付とボランティア情報

CBS NYの情報:Where To Donate Or Volunteer To Sandy Relief Effort

NYC.gov  Hurricane Sandy Relief

黒部エリぞうのNY通信:台風サンディの爪あとと、ボランティア情報